年齢を重ねてわかる”母の気持ち”


 今日は、母の96歳の誕生日である。
 今は、介護付きのホームで穏やかに生活している。母は91歳頃までは、元気で近くの畑を耕していたり、家の周りにたくさんの花を植えたり、花の植木鉢を並べて通りすがりの人の目を和ませていた。頼まれもしないのに道路沿いの草引きをしたり、花を植えたり、病院や郵便局の窓口に花を飾ったり、忙しく働いていた。 
 そんな元気な母も91歳過ぎたぐらいから、体調を崩しては入退院を繰り返すようになった。不安になったとき、頼れるのは医者しかいない。病院通いが続いた。一人暮らしと言うことで、病院も寒い時期は、特別な病気もなくても入院を薦めることが多くなった。病院にいるということで、遠く離れた私たちも安心した。
 嫁いだ姉が車で50分ばかりのところに住んでいる。ふだん何かの時は、姉夫婦が世話をしてくれている。私は関西圏、他の兄姉は関東圏に生活の拠点があるため、帰省するのは、お盆と正月と春の連休。退職した兄が隔月で帰るようになった。親孝行のつもりでいたが、子どもを見送るときの寂しそうな母の姿は今でも忘れられない。今思えば、そのころ母は懸命に孤独と戦っていたに違いない。
 93歳になりそんな母の生活も限界を超えた。入院が2か月を越えた時、預かってくれる病院がなくなり、急遽、私が引き取ることになった。私はやっと親孝行できると喜んだのだが、母の要求のレベルは、私の想像のレベルを超えていた。結局、三週間だけの親孝行になった。
 地元の老人ホームの入居申請をしたら、50人待ちで、やむなく他府県の病院に一時預けることになった。数ヶ月後、その病院の先生の紹介で、今の介護付き老人ホームに入居することになった。
 当初は、自分の慣れ親しんだ家で過ごすことにこだわった母だが、今では「ここにいて幸せ」と笑顔で応えてくれる。 
 昨年、4月退職を機に、月に一週間だけ帰省し、片道40分の実家とホームを毎日往復している。(その道すがら、誰も住まなくなった家屋が点在するのをみるのは悲しい)
 朝は実家や周辺の片づけをし、午後、ゆったりと母のところで過ごす生活。エンドレスに続く母の話にふんふんと耳を傾けながら、これが一番の親孝行なんだと確信する。
 この年末年始は、実家に母を迎え、兄弟で楽しいお正月を過ごした。
 小さな手押し車が、今、母の大切な足で、自分でトイレにも行っている。看護士さんやヘルパーさんもひっきりなしに笑顔で声をかけてくれる。「すみません」「いいですよ」これがヘルパーさんと母の会話である。母の好きな花を飾るため、ヘルパーさんが窓辺に大きな花台を作ってくれた。母はその台にチューリップの鉢植えを置き、春の訪れを待っている。やっと孤独からの解放である。
 その母の誕生日、このブログを書きながら、なぜか涙があふれてきた。
年齢を重ね初めてわかる親の孤独と苦悩、「親孝行したいときには親はなし」とならないように、自分で後悔しないようにしたいと思う今日この頃である。