母との別れ

 『入院している母を見舞うため、今回も11月の末から約1週間、田舎に帰ってきました。退職してから、毎月帰る、恒例の行事になりました。
 実家から毎日40分の道のり、運転しながら、入ってくる周りの景色の移り変わりに目をやり、何度この道を走ったことかと考えながら、母のところへ向かいます。
 前回帰った時は、懸命に語ろうとしていた母も、今は、時折、目を覚まして「わかる?」という私の問いかけに、かすかな笑みを浮かべ首を縦に振ることしかできません。
 しかし、悲しい気持ちを通り越して、未だにこうして母に接することができる自分は幸せものだと感謝する気持ちの方が強くなりました。』
 
 …と一週間帰ってきたときのことをブログに載せようと書いているとき、突然、姉から「すぐに帰ってきて!」という連絡がきました。
 そして、12月6日(火曜日)午前9時48分、母は天国に召されました。残念ながら、会えませんでしたが、2日前「どうにもならない!」と笑顔を残して語った言葉が妙にはっきり聞こえ、心に残っています。
 
 嫁さん、子供たちを連れて再び、田舎に帰りました。姉夫婦が、母を見守ってくれていました。
 母の穏やかな顔をみてると「やっと苦しまなくていいんだね。お疲れ様でした。」と声をかけ手を合わせました。

 誰も住んでいない田舎の家は、いつも心づもりだけはして、片づけはしていましたので、何とかお葬式も行うことができましたが、自治会や近所の方の対応に追われました。
 弔問に来られる方々にお会いしてると気丈に振る舞うつもりでいた私も、涙があふれて、その場におれなくなりました。
 
 田舎のお葬式は、葬儀屋にもお願いしますが、『講』といって、地域の班の方が、すべてのお世話をして下さいます。たくさんの人々に送られて、母は幸せだったと思います。

 葬儀後の片づけや四十九日の予定など、兄と相談して、お寺と折衝したりバタバタしてるうちに日が過ぎていきました。母の遺骨を四十九日までお寺にあずかっていただき、六日後、故郷を後にしました。
 そして、一日がかりで、会計報告や名簿作りを終了し、兄、姉に送りました。